World in You × Org」は、より良い社会づくりに取り組んでいる様々な団体の想いや活動内容について伺い、学ぶWorld in You の対談シリーズです。

12~1月にかけて3回のWorld in You × Orgでは、「子どもと未来が楽しみになる、孤立しない社会を地域で生み出す」活動に取り組む3団体のお話を伺いました。

今回は、「子どもと未来が楽しみになる、孤立しない社会を地域で生み出す」活動に取り組む3団体のお話を伺った中から、NPO法人沖縄青少年自立援助センターちゅらゆい代表理事の金城隆一さんのお話をお届けします。

本記事は対談のまとめ記事です。対談の全内容はYouTubeでお楽しみください。
(聴き手:山本未生、記事:小沼瑠美、山本未生)

 

金城さん:
私はもともと大阪で不登校とか引きこもりの問題に30年ほど関わっていました。沖縄に帰ってきた際に、当事者の親御さんに声をかけていただいて、ちゅらゆいがスタートし、2010年に団体を設立しました。 うるま市での三つの事業を今年分社し、現在は主に中高生や若者の社会参加を応援する取り組みをしています。

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

ビジョンは『全ての人の尊厳が守られ、認められている社会』をつくるために活動しています。
ミッションの1つ目に『アドボカシーの実践』があります。不登校や引きこもりの方は、自分の思っていること、声をなかなか上げられない状況になることが多いです。そこを我々がしっかり代弁したいんです。2つ目は『社会孤立問題』の解消です。3つ目の『多様な遊び』については、来ている子どもたちは、ヘビーな状況にある子たちが多いのですが、だからこそ『遊び』を大事にしています。ゲームなどの遊びも含め、ガチガチではなくて、余白があるような場を創出していくということです。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

沖縄の子どもたちが直面する厳しい現実——相対的貧困率29.9%が意味するもの

沖縄県では、下図のように結構厳しい数字が並ぶ状況があります。この中でも特に高いのが、子どもの貧困率29.9%です。貧困には、絶対的貧困と相対的貧困という指標があり、日本で今言われている貧困は、相対的貧困です。絶対的貧困とは、「明日生きていけるかわからない」「今日助けないとまずい」というイメージです。

これに対して、相対的貧困は見えにくく、所得の低い人から一番稼いでる人までを横に並べて、4分の1より低いところにいる人が相対的貧困にあります。貧困ではあるが、携帯を持っていたり、食事は偏りはあるが食べていたりするので、「貧困ではないのでは?」という声も挙がることもありますが、「本来あるべきものがない」という状況なのです。

相対的貧困は、見えにくく、格差がある、という特徴があります。 国は学校をプラットフォームにして先生たちに相対的貧困を発見してもらおうとしたのですが、どこにいるのかわかりにくいのです。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

子どもの貧困とは「潜在能力を実現する権利の剥奪」——自己責任論を超えて

子どもの貧困とは「潜在能力を実現する権利の剥奪だ」というアマルティア・センによる定義が、私はしっくりきます。例えば、本当は自己投資でちゃんと大学まで行ければ、社会の人材として能力を発揮できる子たちが、それを奪われているということ。貧困によって可能性が奪われること、自分の中にある色々なものを実現する権利ー潜在能力ーを剥奪されている状態が貧困だと定義しているのです。

「マインド論はこどもを傷つける」ということがよく言われます。私も昔貧しかったのですが、悪気なく、子どもたちを励まそうと、「頑張ってね」という人がいました。

貧困を荷物に例えるとわかりやすいと思います。50キロの荷物を子どもが背負っているとして、それを両親も一緒に持ってくれる家庭なのか、シングルのご家庭でお母さんが一緒に持ってくれるのか、お母さんはいるが一緒に持てない事情があるのか。荷物が50キロではなく、1tを持っている子もいます。貧困は、ひとくくりにされがちなのですが、その子の抱えている背景に応じて違う。

「頑張ってね」は裏を返すと、自己責任なんですよね。 自己責任論には、私は反対しています。貧困は社会の構造から生まれてくるものなので、頑張ってなんとかするという話ではなく、社会の仕組みそのものを変えていかないと、こういう子たちが生まれ続ける、という立ち位置に立たないと議論が始まりません。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

公設民営第一号の居場所から始まった挑戦——寄付で継続した中高生の居場所

2013年、ちゅらゆいは、沖縄県で初めての公設民営の居場所を始めました。今では県内360カ所まで居場所が増えましたが、その第一号がちゅらゆいです。

始めた当時は居場所と言うと、「なんですか、それ?」という反応でした。そもそも貧困の子どもがいるということが沖縄の中でも認知されていなかたのです。

生活保護家庭の中学生の不登校率が、全国では約4%であるのに対して、沖縄では25.6%と異常に高く、世代を越えて負の連鎖を繰り返しています。この対策をしっかり打っていきたいと、那覇市と共同し事業をスタートしました。

(現在のkukulu:ちゅらゆいホームページより)

 

ただ、開始後1年9か月ほど経ち、担当者も評価してくれてこれからだぞというときに、財源が用意できなくなったと言われ、事業が廃止になりました。

那覇でも一番しんどい状況にある子たちがkukuluという居場所に通い、好きになってくれたのですが、財源的な理由で継続できないことを子どもたちに話しました。すると、皆笑顔で「仕方ないよ、金城さん」と言うのです。「この子たちは、やはり奪われることに慣れている子たちなんだな」と切なくなり、法人内でも議論して、「居場所を継続しよう、寄付を集めてやろう」と。お金が払えない子を相手に飲食店を経営するようなものなので、財源規模として縮小しましたが、寄付を集めてとにかく継続しました。

寄付で細々と継続してきた中高生の居場所は、2016年に内閣府予算で行政の事業として復活しました。その際に、対象を中学生までから、高校生まで拡大して、現在に至っています。

 

三つの貧困が連鎖する——経済的・文化的・社会的貧困への包摂的アプローチ

活動して見えてきた貧困があります。
経済的貧困は、制度で結構カバーされます。しんどいのは、文化的貧困と社会的貧困です。

文化的貧困は、家庭文化の貧困です。沖縄では、戦争を経て三世代ずっと生活保護で生きている家庭があります。そこでは、家庭文化の独特の癖があります。例えば、女の子が深夜徘徊して道端で寝ていても、「お母さんも若い頃そうだったから大丈夫よ」とお母さんが言ったり。ご飯をつくらない親に、「パンでもいいから用意してあげたらどうですか?」と話すと、「法律であげないといけないっていつ決まったんですか?!」と怒られる。そういった、家庭独自の文化や継承されてきたものがあると、学校や行政の支援員から「お母さん、そんなことじゃだめだよ」と怒られてしまう。

そうすると、3つ目の社会的貧困が生まれ、家族ごと孤立する状況になります。

これらに包摂的に関わる必要があるということを、事業を通じて感じています。

 

不登校の早期発見・早期対応が引きこもりを予防する——教育・民間・福祉の連携へ

教育行政との連携についても課題があり、沖縄に限らず日本全国で、熱心な先生ほど子どもを抱え込んでしまい、不登校から引きこもりに移行してるのではないかという調査があります。厚生労働省による平成15年の調査によると、引きこもり146万人のうち、61.4%が不登校を経験していました。

どういうことかというと、学齢期に「私しんどいです」とサインを出している子たちが沢山いるのに、適切に対処しなかった結果、引きこもりに移行していった人たちが、引きこもりの人の61.4%いるということです。

kukuluでの経験からも言えることですが、早期発見・早期対応すると子どもたちは元気になるスピードが速いんです。けれども、20年、30年引きこもってしまうと、支援コストが非常に高くなる。 だから、教育、民間、福祉などがしっかり連携して、子どもたちを抱え込まない仕組みを作れば、相当数の引きこもりが予防できるんじゃないかと考えます。

 

企業との連携

行政への提言は色々してきましたので、次は企業との連携をしっかりしていきたいです。中小企業家同友会との連携や、最近はバスケットボールのmoltenと一緒に一般社団法人Arch to Hoop沖縄を立ち上げ活動しています。子ども若者たちが社会に出た時の受け皿として、企業も一緒に考えていくところへ広げていきたいと進めています。

体験の提供

助成もいただきながら子どもたちと北海道旅行などに行ったりしました。沖縄から北海道へというのは、子どもたちにインパクトがあります。助成金だけで全部賄えなかったのでお金集めは大変でしたが、北海道の若者支援団体とも連携し、札幌雪まつりの手伝いなどもしました。

クラシック音楽家とのプログラムを7年ほど続けていて、子どもたちが月1回ワークショップをしながら2月に発表会までやります。 日本で多分一番完成度の低い発表会ですが、引きこもっていて何年かぶりに人前に出て、震えながら歌ってる子がいたり。強制するわけではなく、先輩たちが声かけなどをして、勇気を出してステージに出る姿が好評です。皆さんも機会があれば、参加してもらうと面白いと思います。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

ユースセンターアシタネ、kululu高等部

ユースセンターアシタネとkukulu高等部は夜の居場所事業です。
深刻なケースで、児童相談所に相談しても動いてもらえない事例が、年末に駆け込みで来ます。夜間や年末年始は非常にリスクが高く、そういう時間の居場所をやっていると、日中に来ている子たちとは違う層の子どもや若者たちが利用しています。高校に通いながらも実は悩みやしんどさを持っている子たちも利用しています。夜の居場所の次は、住宅もやっていきたいなと思っています。

一昨年カナダに視察に行ったのですが、当事者がしっかりと事業に参加したり、元当事者が支援者になっていたり、支援を受けている方々がしっかり発言していました。日本はまだまだだなと思いました。 支援者と非支援者が分かれてて、支援者がパワーを持っているので「上から物申す」、「支援者が支援してあげる」雰囲気が日本は非常に強いなと。当事者がもっと参画していける社会になっていったらと思い、ユースセンターでは、孤立予防の側面に加えて、若者の参画を促進すること、子どもたちの声からつくっていくことを意識しています。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

若者たちと就労を考えるーアシタネワークス

子どもたちの中には、kukuluで元気になって社会に戻っていく子もいますが、kukuluだけでは元気にならない子も毎年1~2割はいます。そこで、障害福祉の制度を使い、去年の7月にアシタネワークスを始めました。もともとは就労訓練する制度ですが、アシタネワークスでは、就労訓練というよりは一緒に若者たちと「働く」ことを考えたいなと。

若者が頑張って就職しても食べていけない、ということが沖縄や日本全体で起きています。福祉や行政は、就労者の数で支援を追いますが、日本はレールから外れると戻ってきにくい社会と言われていて、学歴が低かったり学校へ行くことを途中で挫折した子たち、引きこもり経験がある子たちは、なかなか社会に受け皿がなく、低賃金の仕事しかないのです。若者が元気になっても社会の受け皿が脆弱な状態なので、そこを変えていかねばなりません。

引きこもりの人数はどんどん増えています。子どもは共感性が高い領域ということもあり、政策が動きやすいのですが、若者はまだまだ自己責任論です。子どもから若者は一人の人生としてつながっているのですが、見る側がそれを「子ども」、「若者」と分けて見ているんです。
小学生の子どもが「しんどいです」と言うと皆共感するけれど、20、30代の若者が言うと、「それは怠けているんじゃない?」という風潮がまだまだある。そうではなく、連続性の中でそこに至っているということを、発信していきたいと思っています。定期的に勉強会もやっているので、機会があればご参加ください。

 

対処療法から予防へ——日本全体で考えるべき社会の仕組みの転換

下図にまとめたように、不登校などの状況から、ワーキングプア、ひとり親、フリーター、非正規雇用の状況、ひきこもりへと移行していき、みんな貧困になっていく、格差が拡大していく、という社会をどう変えていくのかというのが、これからの日本全体の課題だと思います。

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

こども政策全体をみたときに、サービス自体は増えてきているのですが、縦割りのサービスで必要な子どもたちに届いていない、という状況をなんとかしたいです。
また、下図の4象限の右下にある「経済力が厳しく、子どもの状態もしんどい」世帯への政策が非常に少ないため、ここに力をいれていくべきです。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

沖縄県では居場所が360カ所まで増えましたが、これは対処療法です。そもそも貧困対策とは、貧困状態に陥る子どもが生まれない社会をつくらないといけないのですが、そこへのアプローチは全くありません。行政などにも提言していますが、日本の他の地域でも行われていません。

まず知ってもらい、そして、応援したいと思ってもらい、参画してもらう。この問題に市民がしっかり参画していかないと、日本という船がどんどん沈んでいくと思います。

しんどい子たちをマイナスからゼロにするラインまでは我々できるんです。 ある程度元気になった上で、社会参加するところを、一緒に考えてもらいたいんです。 日本全体で考えていかないといけないことだと思います。

 

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

 

最後に、この問題について知っていただけたらと、『居場所をください』という漫画を2023年に出しました。 kukuluに来ていた子たちや私自身のストーリーを漫画にしたものです。ぜひお手にとっていただければと思います。

 

Q&A

- 4象限の中でも、経済的にも難しく、お家での養育が難しいところ(下図④)に、どのようなアプローチがよいのでしょうか?

(ちゅらゆいプレゼン資料より抜粋)

ちゅらゆいは④をやっていますが、参加意欲がない人たちにどうアプローチするかですね。
①は、親も子ども意欲が高く、いろいろなサービスから選べる。
②は、たとえば、お子さんに障害がある場合、子どもの意欲が低いわけではないのですが、放課後デイサービスなど限定されたサービスがある。
③は、親が余裕がなく、子どもの意欲が高いときに、子どもが自分で動いて行けるサービスとして、児童館やこども食堂などがあります。 子供が自分で動いていけるサービス。
④は、親も子どもも窓口に来ないから要らないとされているのだが、実はここが必要なのです。ちゅらゆいがやっているアウトリーチがここで、つまり、余計なお世話、おせっかいをするわけです。家に行って、喋って、仲良くなって、居場所に出てきてもらう。出てきてサービスを使って初めて、その子たちは「自分は実はしんどかったんだな」とあとでわかるんです。その子たちからすると、その状態が日常なので。
ここは、日本ではずっと放置され続けてきました。 引きこもりも、不登校も、当事者たちが動いてないんだから、それは要らないというということだよねと、放置された。 ですから、政策としては、関わる側から積極的に関わっていくアプローチが必要で、窓口に来てくれた人だけが対象になるというやり方ではないやり方をつくっていかないといけないのです。

 

- そもそも(サービスが)要らない、もう行きたくない、となる背景に、三つの貧困がぐるぐるまわっていることを考えると、こちらから訪れていくことはすごい大事だと思います。
そんな中で、ちゅらゆいさんでは、リ-チアウトする方のトレーニングやチームメンバーの育成はどのようにされていますか?

ちゅらゆいでは、知識のない人も大事にしています。福祉や教育といった専門知識を学んだ人たちはある意味少し偏っているので、経験のない人も積極的に働いてます。
また、しんどい子たちと関わるため、バーンアウトするリスクはあるので、コミュニケーションをしっかり取れる場を意図的につくっています。
専門性を担保するために、私がスーパーバイズ的な立ち位置でしっかり入る時間を定期的にとっています。一方で、対人支援をする人は、福祉や教育などの専門性の勉強ばかりだと、視界が狭くなってしまうので、それ以外の領域の勉強もするようにしています。

 

- 問題の対処療法(川下)と原因を改善すること(川上)について、川上に取り組んでいくことの難しさを感じます。どうすれば行政や私たち市民の目が、もっとシステムの川上の方に行けるのか?  予防的な取り組みは非常に大事だが、そこにリソースがつきにくいことについて、どう思われますか?

私も明確な答えはまだないのですが、貧困の問題でいえば、シンプルに給料が上がれば問題が解消する家は結構多いと思います。沖縄県の相対的貧困率29.9%について、私の単なる肌感覚ですが、お金の問題が解決すると20%ぐらいは問題なくやっていけると思います。10%ぐらいは、他にも何らかのケアが必要なご家庭があると思いますが。単純に給料が上がるということに加えて、働き方もあります。週5日40時間も本当に働かないといけないのか? コロナ禍以降、自由に働けるようになった層もいますが、家庭で育児しながらオンラインで仕事ができるなどの工夫がどんどん進まないと、今の働き方だと特に弱い人たちほどしわ寄せがくると思います。いろんな人たちと議論して考えていきたいです。日本の仕組みを一回立ち止まって考えないといけないんだろうなと思います。

 

- 金城さんがこれだけ長い間取り組みを続けておられるところを、支えているものがあれば伺いたいです。

先ほど紹介した漫画の第一話が実は私のストーリーなのですが、実は私も中学生の時に学校に行かなくなったんです。当時は風当たりがまだまだ強く、ちょうど私の世代が不登校が増えて社会問題になり、フリースクールなどが全国に増えた時期です。

私は「卒業証書は要りません」と断ったので、一度最終学歴が小卒になり、夜間中学で学びなおし、中学に7年ぐらい行きました。人のご縁もあり、自分が動ける力があったので、自分が動いていく中で色々見つけることができたんです。かなりラッキーだったと自分でも思います。学校行かなくなった時に「そうだよね」って話を聞いてくれる大人が一人もいなくて、当時はやっぱりしんどかったです。それが原体験で、「子どもの味方になる大人が一人ぐらいいないとね」ということが活動のベースにあります。

 

- 鉄道型キャリアからナビゲーション型キャリアへとパラダイムが変わっていく中で、それに合わせて、サポートのあり方や、子どもたちの世界観自身も同時に変わっていかないと、波に乗れなくなってしまうのでは、と思っています。

そうですよね。高度経済成長時代の日本の成功体験から抜け出せていないと思います。けれどももう時代が変わっているので、そのやり方では無理だろうと思っていますが、そこが全く議論されてない。
鉄道型からナビゲーション型へという話は、若者に関する研究をされている宮本みち子先が書いていますが、その通りだと思います。私より少し上の世代の方には「最近の若者は怠けている」という発言をする方もいますが、もう時代が変わり、終身雇用の時代ではなく、働き手が自由に選択できるようにもなりました。

一方で、ナビゲーション的なキャリアを自分で形成していける人とそうでない人の格差がどんどん出てきています。そうすると教育が大事になるのですが、教育もあまり変わっていない。結局ナビゲーション型のキャリアに対応できる人は、自らそれを掴めている人で、全員とは言いませんが、それができる家庭環境にいる人たちなんです。しんどい状態で自分で全てやれる人はすごく少ないと思います。そうなると、個人が頑張った、頑張っていない、という話ではなく、社会全体の仕組みとして貧困率の上昇などの傾向が出てきます。

教育も含め、日本が10、20年後、どうなっていくには、どういう教育がいる、というような議論があまりない。だから、不登校の支援では、学校へ戻すことがゴールになってしまいます。だが、学校は別にゴールではない。学校は教育を受けるための手段の一つであるはずで、それが絶対的になりすぎてい、教育の多様性がないところが、日本がまずいところです。

いま不登校が4%いますが、逆に、96%の子どもが一つの教育システムに依存している国というのは、ヨーロッパ、アメリカではあまりないんです。もう少し、オルタナティブな学び、民間の学びが認可されています。公教育で96%の子たちを保証しているということは、熱心ともいえるが、その熱心さが今悪い方に出てるなと思います。

 

- 支援する側とされる側が両方堂々と対等な立場でいることが、より支援が広がることになるのだろうと感じました。 支援が必要な方々が負い目を感じずに積極的に用意された場に出ていくためには何が必要だと思われますか? また、そのために工夫をされていますか?

一つ力を入れているのが、子どもの権利という視点を普及する活動です。
子どもの権利の4つの柱は、「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」です。
ですが、日本では、最初の3つは非常に熱心なのですが、参画することが弱いのです。

子どもの権利の父と呼ばれているコルチャックさんは、子どもは一人の人間である、大人とか子どもということではなく、人間同士である、と書かれていて、深い言葉だと思います。日本では、そういう視点で子どもと接していないんです。ですから、もっと子どもたちと対話しないといけないし、子どもたちから色々な意見をもらわないといけないと思います。

ちゅらゆいで工夫していることとしては、kukuluでは、基本的には子どもたちに自分で決めてもらっています。ただ、日本の子どもたちはそのようなトレーニングを受けていないため、いきなり「あなたのしたいようにしていいんだよ」と丸投げしても無理なので、ある程度枠は用意する。これは子ども一人一人で変えています。枠は用意して、その中から選んでもらったり、だんだん自分の意見を言えるようになったらどんどん採用したり、一緒につくったり。
表面的に「あなたの意見は素晴らしいよね」という場所はあると思いますが、子どもが社会に影響を与えるところまでやっているところは、まだまだ少ないと思います。
さきほどお伝えしたカナダのように、それができている地域の子ども、若者は堂々としています。ちゃんと自分を持って自分の意見を言う、それが日本にも必要ではないかと思います。それをつくっていくために、居場所では子どもの言ったことをできるだけちゃんと我々が考えるようにしています。

 

- 自分がしたいこと何か、ここに必要なことが何か、自分で考えて決めていくことから伴走されていること、本当に素晴らしいなと思います。 本日は本当にありがとうございました。